SnowManのムードメーカ・向井康二くんは、関西出身の親しみやすさと人懐っこさで、メンバーやファンからも愛される存在です。
タイで生まれて奈良県で育ち、ジャニーズ入りのきっかけとなったドラマチックなムエタイ道場での出会いも有名ですね。
そして泣き虫だった関西Jr.時代の素顔、お兄さんとの関係・家族エピソードなど、ジーコ物語をたっぷりお届けします!
これから向井康二くんのことを知っていく方もファンも必読、彼の魅力がより深くわかり、もっと応援したくなるはずです♡

向井康二の幼少期エピソード
- 幼い頃はタイと日本の両方で生活
- 近所の子供たちと遊びながら自然にタイ語を身につけた
- ゴルフを楽しんだり、ムエタイジムにも通っていた [1]
幼少期~小学生は泣き虫で、悔しさや不安から泣くことも多かったそうですが、その純粋さと頑張り屋な性格が彼の人柄の魅力となっています。

今でも「泣き虫」って言われているし、よく泣いていますね
向井康二はタイ生まれについて
お母さんがタイ国籍だったので実家の近くであるバンコクで生まれたようです。
- タイでの生活は文化的なバックボーンの一つとなっている
- 日常会話程度のタイ語も自然に身につけている
- ムエタイジムに通うなどタイの文化とも深く関わっている
こうした背景から、康二くんは「タイ生まれ」というだけでなく、日本とタイの両方の文化を体験して育ったハーフであり、その多文化経験は彼の個性的な魅力と表現力に繋がっているようです。
向井康二くんには2歳年上のお兄さんがいます。
「2025年10月20日しゃべくり007(日テレ系)」では、後半で詳しくお話する兄弟揃ってムエタイを習っていたエピソードも紹介されていました。
向井康二がジャニーズに入ったキッカケ
- ジャニーさんは何度も電話をかけて熱心にスカウトした
- 当時まだ小学2年生で幼かったため入所は一旦保留
- 母親も最初はスカウトの話を信じなかった
ジャニーさんの熱意に心を動かされ、やがて母親に連れられて大阪城ホールでジャニーさんと会い、滝沢秀明さんのコンサートも観覧しました。
その後、小学5年生の2006年10月8日に正式にジャニーズ事務所に入所しました。
泣き虫だった関西ジャニーズJr.時代のエピソード
- 特に大阪松竹座のトイレの隅っこでよく一人涙を流していた
- 振り付けや歌の練習で自分だけ覚えが遅いことに落ち込み泣いていた
- いつも同じ場所で泣いていたため周りにすぐ見つかっていた [2]
デビューしてからも、2021年のテレビ出演では平井堅さんの「even if」を聴きながら、壁際で涙をこらえられず号泣する様子も公開されています。[1]
しかし、雪崩のようなストレスや自分への苛立ちを涙で発散する“泣くこと”が康二くんのストレス解消法でもあります。
しんどい時は気にせず、弱みも見せていかんとな。涙はネガティブな意味だけじゃなくリラックスできるポジティブな意味もあると思う。これ、〝コジティブ〟って言うんやけど、生きるコツ!(引用:MORE)[2]



”コジティブ”、取り入れたいですね♡
向井康二と家族エピソード
- 父は明るい性格で仕事のアドバイスをもらうこともある
- 母は気さくで愛情深くいつも応援してくれている
- 今でもしょっちゅう会っているほど仲良し
家族みんなフレンドリーで明るく、康二くんもよく家族について話しています。
父は元畳職人・母は元軍人で、現在も康二くんの出身である奈良県に住んでいると考えられています。
向井康二と兄・向井達郎とのエピソード
兄の達郎さんは2歳年上で元ジャニーズ、現在は大阪在住でデザイナーなどをしています。
兄弟でステージに立つ経験もあり、ジャニーズ入所も同じ2006年10月8日で2人で活躍していた時期があります。


- 幼少期は口喧嘩が絶えなかった
- 康二くんが尊敬する人は兄
- 離れるのが寂しくて康二くんが泣いたこともある
2025年10月20日(月)放送の『しゃべくり007(日テレ系)』でにお兄さんが登場し向井康二くんの幼少期を語ってくれました。
幼少期に口喧嘩こそ多かったそうですが基本的には仲の良い兄弟でだったようです。


タイでは姉兄弟でムエタイを習っており番組内では当時のムエタイエピソードも紹介されました。番組内ではムエタイを始めた理由は母親に無理やり放り込まれたと語っており気が付いたらやっていたそうですね!
向井康二君はだいぶ寂しがり屋な部分があったようで、いつもお兄さんが面倒を見ていたようですね。


また、はムエタイの合宿に行くとき、母親が康二くんを心配しすぎて合宿へ送り出したあとに後を追いかけて「近くの木の木の陰」から見守っていたエピソードも紹介されていましたね。


基本的にずっと仲の良い兄弟ですが、少し中学生くらいの頃に1度だけ大きな殴り合いの喧嘩をしたことがあるそうです。
このときはお兄さんが圧勝だったそうで、向井康二くんはその喧嘩以降。「兄と喧嘩するのはやめよう…!」と感じたエピソードがとても印象的でした!
現在では康二くんは一緒にいて落ち着く相手は兄だとも明かしており、まるで親友のような関係でもあります。
お兄さんの向井達郎さんについてはコチラから!


向井康二と母親のエピソード


- 日本語とタイ語でしょっちゅう話している
- 幼少期は心配で、物陰から兄弟の様子を見ては泣いていた
- 「おかんが悲しむから人が死ぬゲームはしないと」話す
- 母の影響で国際的な視野が広がった
東京とバンコクを舞台にした映画『(LOVE SONG)』(10月31日公開)でのインタビューでも、母とのエピソードを語っています。
“ご家族からの反応は?”と聞かれると、向井は、「おかんがね、喜んでますよ。LINEが鳴りやまない」といい、母親が映画のポスターの写真を各地に撮りに行っていると明かした。
“タイでの撮影中大変だったこと”については、「タイ語のセリフかな。お母さんと練習してるので」「基本先生はお母さんなんですよ」と明かしつつ、「まだ(母親は完成した映画を)見てないんですよ。見たら劇場で泣いてる姿は想像つきますね。『う~康二~!』って言ってそう。で、ファンの人にバレる。『絶対母ちゃん!』」と話して笑いを誘っていた。(引用:exciteニュース)[4]
向井康二の幼少期についてよくある質問
- 向井康二くんはどこで生まれましたか?
-
タイのバンコクで生まれました。
幼少期の一部はタイで過ごし、日常会話レベルのタイ語も自然に身につけています。 - 幼少期はどんなことをして遊んでいましたか?
-
近所の子どもたちと遊んだり、トラックの荷台に乗って遊びに行ったりしました。
また、小学校低学年からムエタイジムに通い、鍛錬を積んでいました。 - ジャニーズ事務所に入所したのは何歳の時ですか?
-
小学5年生のときに正式に入所しました。小学2年生の時にジャニー喜多川さんからスカウトされていましたが、当時は幼すぎたため、少し遅れての入所となりました。
- 幼少期に習っていた習い事は何がありますか?
-
ムエタイのほかに、空手(黒帯取得)、日本舞踊、茶道、軟式テニス(部活動)、水泳など多彩な習い事を経験しています。
- 家族との関係はどんな感じですか?
-
家族仲が非常に良く、幼少期は兄と一緒にムエタイジムに通ったり、母親とはタイ語も交えて交流するなど親密な関係です。
- 幼少期の性格はどんな感じでしたか?
-
泣き虫で甘えん坊。練習で悔しくて泣くことも多かったですが、その純粋さがファンにも愛されています。
まとめ&関連記事
以上、向井康二の幼少期エピソード・家族エピソードをご紹介しました。
- 幼少期から今も変わらず「泣き虫の康二」と呼ばれている
- 本人にとっては、泣くことはストレス発散で前向きな気持ちになる
- 父は日本人・母はタイ出身で向井康二もタイで生まれた
- ジャニーズ入所のきっかけはムエイタイジムでのスカウト
- 兄とは今でもしょっちゅう会う親友のような関係
- 家族仲が非常に良く、いろんなエピソードがある


出典・参考・引用
[1] 参考『Wikipedia』(最終閲覧日:20205/10/22)
[2] 参考・引用『MORE(2021/10/09)』(最終閲覧日:20205/10/22)
[3] 出典『TVer 日テレ10月20日(月)放送 しゃべくり007』
[3] 参考・引用『exciteニュース(2025/09/25)』(最終閲覧日::20205/10/22)


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